50台近く乗り継いだ輸入車オタクの「オペル・マンタA」迷車回顧録

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ども!カレントライフのファンの皆様こんにちは!ライター山本です。私は20歳の頃から輸入車に乗っていました。当時は、「外車」と言えば、「アメ車」、「ドイツ車」等が中心でそれでも外車乗りは「金持ち」、「変わり者」、「成功者」なんてイメージが勝手に先行していました。そんな中でも私、山本は、人と違う路線のクルマを探し乗り続けてまいりました。ここではその「迷車」「珍車」をエピソード交えて紹介させていただきます。

このクルマは購入時から手放すまですべてがドラマでした

私が、マニアックな旧車に“はまった”のは20歳の頃に買った「アウディ 80GLE」がスタートでした。多分、今までに乗った車が50台近くありましたが、「アウディ」が私のクルマの基本系かも知れません。ですから、国籍で言うと比較的「ドイツ車」に乗ることが多かったのですが、その中でも私の人生で「OPEL(オペル)」は深い繋がりがありました。

きっかけは、このクルマ。「オペル・マンタA」。1970年から生産され、私のクルマは72年製の1900CC、SOHCの4速ミッションでした。「マンタ」との出会いは、行きつけのクルマ屋さんでした。お店の一番奥に見慣れないオレンジ色でボンネットが艶消しブラックのクルマが置いてあるのに気づき、そのお店の社長に声をかけると「俺のクルマなんだよ」と言われました。プライスが掛けられていたので「売り物?」と聞くと「そうだよ。」と言われ当時、「77年型のアウディ80」に乗っていた私は、「運命的」なものを感じ買い替えを決意しました。お金をすべて入金し引き取りに。しかし、「ドラマ」はそこから始まっていました。


▲よく、マツダの初代ルーチェと間違えられました(笑)

店に行くと様子が変です。クルマが私の「マンタ」以外ありません。「え?」と思いながらお店の事務所に行くと、知らない怖いお兄さん達が「何?」って声を掛けてきました。「クルマをここで買ったのですが・・・・」と言うと「お金は?」と言われ全額払った事を伝えると「そうか、あんたも被害者だな。」と。

そうなんです。クルマ屋さんは、借金の為「夜逃げ」をしたのです。「何のクルマ買ったんだ?」との問いに恐る恐る外に停まっている「マンタ」を指さすと強面の皆さまが「失笑」。「そうか!このポンコツか!気を付けて帰れよ!」と鍵を投げられ、エンジンを掛けてすぐさま走って帰りました。しかし、ここからがまた大変でした。

気になったのが謎の木の杭。でも私は快適に乗っていたのです

とりあえず家について「マンタ」が手に入った事に一安心してクルマを眺めていると「違和感」を感じました。「あれ?ナンバーが変わってない!?」そうなんです。車検証を見てみると・・・社長の名義のままでした。結局このクルマは書類上は私のクルマになることはなかったのです(泣)いつ、借金取りに持っていかれてしまうのか、不安な毎日を過ごしながらの「マンタ」との生活が始まりました。

しかし、右も左もわからない初めての「OPEL」。まず、行ったのがエンジンルームに書いてあったディーラー「東邦モータース」。しかし、愕然とすることに。働いてる若い営業の人たちからは、「どこのクルマですか?」と言われる始末。やっと、ベテラン営業の方に「懐かしい!」と言ってもらったのですが、「ここでは部品がもう出ませんよ」との死亡宣告。

そこで、とりあえず自分でやれることはやってみようと思いエンジンルームを開けて見ると、何やらバッテリーの脇に「木の杭」見たいなものが置いてありました。さすがにこれは部品ではないのは素人の私でも一目両全。しかし、これを外したことが後の悲劇を生むことになるのです。エンジンルームを開けて、基本的な点検をしてオイル類、ベルト類は大丈夫そうでした。しかし、気になったのが謎の「木の杭」。でも私は快適に乗っている内にすっかりその事を忘れていました。そして、ある日、交差点でちょっとカッコをつけて急ハンドルを切った時でした。「ドン」とエンジンルームから鈍い音と同時に、いきなり白い煙が・・・・。何が起こったのかわからず、脇にクルマを停めエンジンルームを開けて見ると、配線がすべて燃えて焦げていました。


▲後美人『バックシャン』とはこのクルマのためにあった言葉でした

更なる悲劇。これが「マンタ」との永遠の別れになるとは・・・

そうです。あの木の杭はバッテリーが倒れないように支えていたのです。愕然としながらもレッカーで修理工場へ運び、配線は全て引き直し。ボンネットの裏も焦げて塗装もダメになったので思い切って黒に『全塗装』することに。ここまで、「車体価格」+「車検」+「配線引き直し」+「全塗装」と結構つぎ込んでしまいました。それでも「楽しく乗れるなら」、そして「誰も他に乗ってないクルマ」が好きな私は、「マンタ」にどっぷりハマりました。

しばらくは、ワイパーが飛んで行ったり、ミラーが落っこちてしまう位のトラブルしかなかったのですが、安い塗装のせいで「錆」が浮き始めました。そこで、二度目の「全塗装」に。今度は黄色に塗り替えました。しかし、ここでも悲劇が・・・・。フロントガラスのモールが出なく、それを知らずに外してしまった塗装屋さんが、手作りのモールで全塗装を仕上げてしまいました。まあ、不格好でした。それを直すために個人でモールを細く削っていると、手が滑りモールをザックリ切ってしまい、そこから雨漏りがする事になってしまいました。そんな時にキャブが不調になり、車検も切れたためにしばらく「お蔵入り」に。

そして、私のマンタはこの後二度と乗ることはありませんでした。動かなくなり、1年たったある日、置き場を移動する事になりました。もちろん動かないのでレッカーで移動する事に。しかし、それが「マンタ」との永遠の別れになるとは夢にも思っていませんでした。クルマをけん引していくタイプのレッカー車だったのですが、何がどうなったかわからないのですが、カーブで上手く曲がり切れず、引っ張っていた「マンタ」をなんと電信柱に横からぶつけてしまったのです。「マンタ」はくの字になり大破。愕然とした私は、修理する気力もなく手放してしまいました。


▲マンタ(エイ)のマークがかっこ良すぎます!『ザ・クーペ』OPELの傑作です

これが、私と「マンタ」の壮絶なエピソードです。苦労したからこそ愛着が深い1台でした。人生の最後には、なんとかもう一度「マンタ」を手に入れて、ドライヴを楽しめたらなあと思っています。

皆さんも、愛車にエピソードをお持ちかと思います。1台に長く乗られる方は、その車との「歴史」が、何台も乗り換える方にはそれぞれのクルマへの「出会いと別れ」があるのではないでしょうか?最近は薄れてしまいましたが、「クルマ」とは単なる「移動手段」ではなく、自分自身の「人生」の良き「相棒」であったのではないでしょうか?また機会がありましたら、私の面白おかしく壮絶な体験談をご紹介できたらと思っております。

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山本 圭亮

千葉県出身。元ソフトテニスのセミプロとして日本リーグでプレーしていたスポーツマン。車に対する愛情(旧車)が強く現在まで50台以上の車を購入。日本車を始め、アメリカ、イギリス、フランス、スウェーデン、イタリア、ドイツ等の車を所有していた。2013年より車雑誌「ハチマルヒーロー」で「8年0組 洋楽先生!」として洋楽と車の関係を中心にコラムを連載開始。2015年から旧外車王SOKENにて「週刊中年フライデー」を連載。2016年から「ミドルエッジ」にてライティングを展開。そしてその中に「なかがわひろき」画作「時空探偵マツ・ド・デラックス」の原作を担当する。車、音楽はもちろん昭和のことなら何でもおまかせの広い守備範囲を持ち、コラムは正統派よりトリッキーなコラムが得意である。現在の愛車は「オペルマンタ」と「オペルベクトライルムシャー」。アルミ弁当箱コレクターやプロレス入場曲解説にてトークショーも開催している。又、音楽配信サイト「AWA」にて公式プレイリスターとしても活躍中。

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