当時は首都高が600円。バブルの頃の道路事情を懐かしむ

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映画「バブルでGo!!タイムマシンはドラム式」の中で紹介されたいたような、1万円札を振ってタクシーを捕まえていたあの頃、筆者は若葉マークの付きの父のランサーEX(習志野ナンバー)で、時々都内を走るような貧乏学生だった。映画で紹介されていたタクシーの捕まえ方は確かに事実ではあったが、あの頃の貧乏学生が想像もしなかったことに、昨今の都心の道路事情の変化というのがある。関東ローカルネタで恐縮だが、今回はそのあたりを振り返ってみたいと思う。

1.六本木ハリウッドトンネル

今でこそ東京の有名なランドマークのひとつである六本木ヒルズがある場所は、かつては「テレビ朝日」と「ハートランド」というレストランと、スエーデンセンターという名の北欧のアンテナショップ、そして墓地だった。けやき坂なんて坂道は存在してなかった。

そして何より、六本木ヒルズの下を貫通しているトンネルは、当時は細い一方通行のトンネルだった。正式名称は知らないが、通称「ハリウッドトンネル」と呼ばれていた。出口の頭上に「ハリウッド化粧品」という看板がついていたことに由来していることと、ハリウッド化粧品の本社がすぐ近くにあったから、らしい。

このトンネルは、芋洗坂を通らずに青山方面から麻布十番への抜け道として使われていた。青山墓地側も、地下鉄乃木坂駅の出口の真上は今でこそY字交差点だが、当時はただのコーナーだった。それが六本木ヒルズの完成にともなって、青山方面から麻布十番へズドンと抜けられるトンネルに進化して飛躍的に便利になったわけだ。

これに地下鉄の開通も重なって、麻布十番はついに陸の孤島から脱出したんだと思っている。現在では国際的かつ大混雑する麻布十番祭りは、バブルの頃でも本当に東京の真ん中のお祭りか?と思うほど地味でほのぼのしたものだったことを懐かしむ人がいるかもしれない。

2.新宿御苑トンネル

バブルの頃、初台方面から新宿へ向かって国道20号(甲州街道)を抜けて、さらに新宿駅南口を通過したあと、明治通りにぶつかる交差点はほぼT字路だった。新宿御苑の横を抜ける細い道はあったものの、今のようにズドンと四谷側へは行けなかった。

逆に四谷方面から新宿に向かって新宿通りを走ってくると、マルイの前を抜けて駅にぶつかってしまい、そのまま大ガード(青梅街道)に向かうか、明治通りで左折、甲州街道ですぐに右折としないと初台方面には行けなかった。振り返ると、明治通り大渋滞の元凶であったことは間違いない。今のように新宿御苑の真下をトンネルが開通し、新宿駅南口から四谷方向へまっすぐ抜けられるなんて夢のようなことだったのだ。所要時間半分以下になったように思う。

3.首都高速湾岸線

今となっては、千葉の浦安あたりから、神奈川の横横までズドンと繋がってる道といえば首都高湾岸線だ。しかし、バブルのころはズドンと繋がってなかった。まず、浦安あたりから大井まで開通し、その頃はスープラ最高速軍団が東京から千葉県へ向かってアクセルを踏んでいた。

その後ベイブリッジが開通したが、当時は横羽線で南下して、金港ジャンクションからベイブリッジへ行くしかなかった。まわりに大した目的地もなく、当時はベイブリッジそのものが目的地だった。路肩にクルマを停めて横浜港を眺めるなんてことができた牧歌的な時代だったように思う。当然、パトカーやら道路公団のクルマが「停まらず進め!」と怒鳴ってた気がするが、みんなで停めれば怖くない的なノリもあった(笑)。

習志野ナンバーの若葉マークドライバーが乗るクルマにナビが付いているわけもなく、当時のホッドドッグプレス誌によれば「彼女に地図を見せて案内させるのはダサい、運転中に地図を見るのもイマイチ」と書かれていたのを真に受けて、ベイブリッジ開通時には男友達と下見に行って道順を確認したのは筆者だけではあるまい。

とはいえ、当時は首都高が600円、横浜あたりの首都高が400円という別料金だったので、貧乏学生には贅沢なドライブコースだった。その後、大黒から空港中央が開通したのはバブル崩壊後の1994年、もう23年も経ったのだ。

なお、前に紹介した二つのトンネルは当時を知る中年以上のおっさんたちが、「うひょー、ここがこんなに速く抜けられるなんて夢のようだー」と言いながらキモチよく飛ばしていたせいなのか、今では速度違反の取締が頻繁に行われているので、当時を知るご同輩は、スピードには気をつけて安全運転をお願いしたい。

また、首都高湾岸線は3車線で、いかにも「高速道路」っぽいが、実は首都高の一部なので、最高速は100km/hではなく、原則80km/hだ。区間によってはもっと低い制限速度なので、便利さ(?)を堪能するときにはご注意を。

これから東京オリンピックに向けてさらに道路の整備が進み、さらに渋滞が減ったったり、目的地まので所要時間が短くなったりして、結果的に大気汚染が減ったり、交通事故が減ったりするんだろうと想像する。しかし、そんな時代にあっても高い自動車税を納めている旧いクルマたちが、新しい道路をキモチ良く走れるような法整備もお願いしたいところだ。

[ライター/ryoshr 画像出典/Pinterest]

ryoshr

若い頃から空冷VWを楽しむ自称「クルマ好きのおっさん」。IT企業に勤務している知識を活かして、1990年代にナローポルシェをインターネット経由で個人輸入してしまう。その後は軸足をクルマへ移行させ、ついには自動車輸入販売の会社を始めたが、うまくいかず早々にIT業界に戻る。クルマそのものだけではなく、同じ趣味の仲間とのコミュニケーションも大切にしている。ネットとクルマの狭間でもがき続けるが、現在は某IT企業のサラリーマン。現在の反省車は17年落ちの白いセルシオ。久しぶりに道路の突起物を気にして走るクルマを楽しんでいる。

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