500EやSL(R129)が現行モデルだったあの頃…「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

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1980年代から1990年代あたりのいわゆる「ネオ・クラシック」のクルマたちに関心がある方は少なくありません。筆者の場合は子どもの頃からクルマにずっと憧れを持っていたため、小学生の頃からカタログを収集していました。
今改めて当時のカタログを見返してみると、忘れていたことが思い出されたり、新鮮な発見があったりして、なかなか興味深いものがあります。今回はメルセデス・ベンツ日本(以下MBJ)が製作したカタログを通じて、ネオ・クラシックのメルセデス・ベンツについて振り返ってみます。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

バブル時代に一斉を風靡したメルセデス・ベンツ

日本経済にバブルが到来した’80年代後半から’90年代にかけて、輸入車の高級ブランドとして象徴的な存在だったのがメルセデス・ベンツとBMW。当時はメルセデス・ベンツ 190Eが「子ベンツ」、BMW 3シリーズは「六本木のカローラ」と呼ばれていましたが、輸入車でそんな愛称が付けられたモデルは、フォルクスワーゲン「ビートル」を除けばほぼ皆無でした。逆にいえば、当時から高級車ブランドとしての知名度は絶大で、カタログにおいても高級感をシンプルに打ち出したデザインが特徴的でした。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

写真は、1991年2月に製作されたメルセデス・ベンツ SL(R129)のカタログです。R129型のSLは、前モデルのR107型から18年ぶりのフルモデルチェンジとなり、新たに電動油圧式ソフトトップやオートマチックロールバーを装備。新世代のスポーツカーにふさわしい技術とデザインで、誰もが憧れる存在となりました。
カタログの表紙は、無駄な要素を削ぎ落としたシンプルな構成。特徴的なノーズ部分を切り取ったクオリティの高い写真で、ブランド価値を訴求しています。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

1991年当時のラインアップは、5.0L V8エンジンを搭載する500SLのみ。ただ、この時代から右ハンドル車が設定されていて、カタログでもメインカットは右ハンドル車。ということは、それらの写真は日本で撮影されたということ。景気の良かった時代ならではの贅沢な構成が特徴的です。

モデル124の傑作と珍作

1984年から1995年にかけてラインアップされたメルセデスのW124は、当初は「ミディアムクラス」、後年は「Eクラス」の名で親しまれた同社の傑作モデル。現在でも愛好家が多く、大切に乗られている個体が少なくありません。

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こちらは1992年12月に作成されたメルセデス・ベンツ 500Eのカタログ。同車はミディアムクラスのセダンボディに、500SL譲りの5.0L V8エンジンを搭載したスポーツセダンとして、今もなお別格の存在感を発揮している名作です。マットブラックの表紙には写真はなく、“FIRE AND SILK”という文字と、光沢のあるシルバーで箔押しされた車名とスターマークのみ。この意匠は本国版と同一で、後のAMGのカタログにつながる精悍さが印象的です。

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ページをめくると、「炎の情熱。絹の優美。」のキャッチコピーに続き、「高性能スポーツカーの頂点にして、サルーンの快適性を極める。スポーツ・セダンの新次元、メルセデス・ベンツ 500E」という説明が入ります。この時代にはフェラーリ 308用の3.0L V8エンジンを横向きに搭載するFWDのランチア・テーマ 8.32もあり、今日まで語り継がれる伝説的なスポーツセダンが新車で買えた良い時代でした。もっとも500Eの新車価格は1500万円を超えており、テーマ 8.32も当初は950万円、後期型でも838万円という価格で、庶民にはまったく手の届かない存在でした。

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モデル124で登場したユニークなモデルバリエーションがカブリオレです。今日のEクラス カブリオレのルーツとなるこのモデルは、ミディアムクラスのクーペモデルをベースにしたもの。電動油圧式ソフトトップは、フロントウインドウフレームへのロック操作のみ手動で行うほかはスイッチ操作で開閉が可能。フル4シーターの実用的なカブリオレでした。

この320CE カブリオレのカタログは、1992年12月に作成されたもの。翌年にはフェイスリフトと呼称変更により、E 320 カブリオレとなったため、ミディアムクラスのオリジナルデザインとカブリオレボディの組み合わせはこの年のみ。ある意味、稀少なモデルでもあります。

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新車価格が1000万円を超えていたこと、そしてモデル124の質実剛健なデザインもあって、販売台数はそれほど伸びませんでした。しかし、耐候性と快適性に優れたソフトトップ、横転時に自動で展開するリアのセーフティ・ヘッドレストなど、メルセデスのカブリオレらしい真面目なつくりが好評でした。

個人的には、オープン時よりも写真のようなクローズ時の姿のほうが好みで、特に後方から見たときのこじんまりとしたルーフラインにエレガントさを感じました。フォルクスワーゲンのゴルフ カブリオ クラシックラインや初代アウディ・カブリオレもそうですが、クローズ時の姿が絵になるカブリオレは、ドイツ車の特権という感じがします。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

1992年モデルとして日本に導入されたモデル124のなかには、とびきりの変わりダネが含まれていました。それがメルセデス・ベンツ 260E ロングです。ホイールベースを800mm延長することでシートを3列化し、左右合わせて6枚のドアを設けたロングボディが特徴。全長は実に5540mmにも達し、乗車定員は8名という異色のモデルでした。写真は1991年8月に製作されたカタログで、1992年モデルはほぼすべてのモデルが大判カタログを採用していました。

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欧州などではタクシーとして普通に使われていたロングボディのV124。本国ではディーゼルエンジンの250D ロングも設定されていました。日本では主に送迎用としての需要を見込んだモデルでしたが、さすがに需要が少なかったのか1年限りのレアモデルとなってしまいました。筆者も20年近く現車を見る機会がありませんでしたが、数年前に某所で偶然ディーラー車を見かけて大いに興奮したことを覚えています。

「アーマーゲー」と呼ばれていた頃のAMG

現在は「メルセデスAMG」として、メルセデス・ベンツのスポーツモデルを担う存在になったAMG。しかし、’90年代初頭まではメルセデス専門のチューニングカーメーカーとして、独自のコンプリートカーやストレッチリムジンなどを製作していました。また、’80年代半ばには三菱自動車とのコラボレーションも実施。デボネアV ロイヤルAMGとギャラン AMGという2種類の個性派モデルがつくられました。

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そんなAMGが日本市場に正規導入されたのは1987年。ヤナセとAMG社の合弁会社であるエーエムジー・ジャパン株式会社が1987年10月に発足し、AMG車の販売が開始されました。

当時のAMGはなぜか「アーマーゲー」と呼ばれていて、当時筆者が購入したフジミ模型のメルセデス 190Eのプラモデルにも「アーマーゲーベンツ190E」と書かれていました。誰が最初に「アーマーゲー」と言い始めたのかは不明ですが、「M」はドイツ語でも「エム」なので、ドイツ語読みであれば「アーエムゲー」が正式のはず。当時はBMWを「ベーエムベー」とドイツ語読みする人が結構いたので、AMGを「アーマーゲー」と呼ぶならBMWも「ベーマーベー」と呼ぶのがスジでしょう。なぜAMGだけが突然変異してしまったのか、まったく不思議でなりません。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

ごく初期につくられた日本仕様のカタログは、“350PS”という文字とV8エンジンだけを配したシンプルなデザインでした。
これはAMG社の当時の最高峰だった6.0 4Vユニットで、560SEL用の5.6L V8 SOHCエンジンをベースに入念なチューニングを実施。さらに排気量を6.0Lに拡大し、独自の4バルブヘッドを組み込んだ結果、最高出力は560SEL前期型の245PSから105PSアップの350PSにアップ。SクラスベースのAMG 560SEL/560SEC 6.0 4Vに搭載されたほか、ミディアムクラスのセダン/クーペにも搭載され、AMG 300E/300CE 6.0 4V HAMMER VERSIONとしてラインアップされました。

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当時のエンジンラインアップは、3.0L 直6 SOHCエンジンの排気量を3.2Lに拡大し、234PSを発生させた[3.2]と、350PSを発生させる前述の[6.0 4V]、およびSOHC版で320PSの[6.0 2V]というシンプルな構成。モデルはSクラス/ミディアムクラス/190シリーズ/SLの4車種が設定されていました。ちなみにカタログには「西独AMG社」という記載があり、1989年のベルリンの壁崩壊の前につくられたカタログであることが分かります。

異色の存在だった「ゲレンデヴァーゲン」

現在はSUVモデルとして人気を集めているGクラスは、1979年に誕生した当時は硬派なクロスカントリーモデルとして異色の存在感を放っていました。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

写真は1989年1月にMBJが製作したカタログです。当時は「ゲレンデヴァーゲン」の名で呼ばれ、パートタイム式4WDを備えるW460型が発売されていました。もともと軍用車を民生用にした生い立ちのため、快適性よりも機能性や走破性を重視するストイックなつくりで、現在のGクラスとは別物のモデルでした。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

ボディは3ドア/5ドアの2種類で、2.3L 直4ガソリンエンジンを積む230GEを3ドアと5ドアに、3.0L 5気筒ディーゼルエンジンを積む300GDを5ドアにラインアップ。3ドアには装備を簡素化した230GEアンファングも設定されました。また、230GEのロングホイールベース車のみ左ハンドル車が選べたほかは全車右ハンドルで、ある意味、時代を先取りしていました。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

こちらは1996年12月に製作されたカタログです。ゲレンデヴァーゲンは1989年にフルタイム4WDを備えたW463型が登場し、年を追うごとに快適性と装備面が向上していったのは周知の通り。この当時のラインアップは、3.2L 直6 DOHCエンジンを搭載するG320と、同エンジンの排気量を3.6Lに拡大したAMG G36の2本立て。どちらも3ドアと5ドアのロングが用意され、G320にはさらにカブリオも設定されました。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

写真は1996年モデルからラインアップに加わったG320 カブリオ。1997年モデルでは電動ソフトトップの採用によりCピラーが新設されたため、このシンプル極まりないスタイリングは1年のみで見納めになりました。

ちなみにこのカタログはエーエムジー・ジャパンが製作したもの。同社はAMGモデルに加えて、一時期ゲレンデヴァーゲンの取り扱いも行なっていました。しかし、2001年にはメルセデスAMGの輸入権が同社からMBJに移管されたため、ゲレンデヴァーゲンの取り扱いも再びMBJに戻りました。写真では分かりにくいのですが、左側テールランプの上に“AMG JAPAN”のステッカーが貼付されています。

「最善か無か」を標榜していた時代のメルセデス・ベンツ

今回紹介したメルセデス・ベンツとAMGの懐かしいモデルたちは、現在も大切に扱われている個体が少なくありません。自動車を取り巻く環境はこの先激変することが予想されますが、往年の名モデルたちも共存できるような未来であってほしいと願うばかりです。

[ライター・画像/北沢剛司]

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北沢 剛司

’70年代のいわゆる「スーパーカーブーム」の洗礼を受け、以来、クルマの世界にどっぷり浸かって大人になってしまった自動車ライター。ニューモデルを見るため20年以上ジュネーブ・モーターショーに通う一方、所有したクルマは’80〜’90年代のネオクラシックカーばかり。さらにミニカーやカタログなどの自動車趣味からモータースポーツまで、興味の対象は幅広い。自動車専門誌や一般誌での執筆をはじめ、輸入車関係の仕事などを幅広く手がけている。

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