昭和の逸品は自動車カタログ!輸入車ディーラーはカタログをもらうにも度胸が必要でしたね

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クルマを選ぶ時、ディーラーに行き、恐る恐る「カタログ下さい。」と言って立派なカタログをもらった経験ありませんか?まして、輸入車となると度胸が必要でしたね(笑)

ども!カレントライフのファンの皆様こんにちは!今回の「週刊中年フライデー20号」は昭和の逸品「自動車カタログ」です。そして、「中フラ」も早20号!!今週も山本編集長と天然系バイト星野がお送りいたします!

ここは、某県の「週刊中年フライデー」編集部。「ドイツ派」の編集長と「イタリア派」の星野くんのデコボココンビが編集会議中であります。ちょっと覗いて見ましょう!

yamamoto山本「星野君!今回で第20回!プチ記念号だぞ!」

hoshino星野「編集長!そうですね!よく途中で打ち切りにならなかったですよね!」

yamamoto山本「はい・・・・。(言いにくい事をはっきりと・・・・)」

hoshino星野「まあ、『中フラ』は私の人気で持っているんですけどね!」

yamamoto山本「星野君。最近、編集部にあなたの問い合わせが多いのは事実なのだが・・・・。」

hoshino星野「あ、取材は事務所を通してくださいね~!」

yamamoto山本「・・・・・(か、勘違いとは怖い・・・・。)」

・・・・編集部の相変わらずの茶番劇はほっとき、説明しよう!

クルマ選びのツールでもあり、コレクションの一つでもあった「カタログ」。今となっては、希少車種をもらっていれば良かったと思っているのは私だけでしょうか?

三和モータースでカタログもらうのは命がけですよね。

週刊少年フライデー20号1

「ポルシェ911SCターボ」このカタログって本当に、貴重且つもらうのに度胸がいりますよね。当時、ディーラーがしっかりしていて、ショールームが有名な自動車メーカーと言えば「ポルシェ」でした。しかし、しっかりしているからこそ敷居が高く独特な雰囲気を持っていました。そこで頂いたカタログは、日本語で丁寧に説明が書かれていて、「ポルシェ」を日本に根付かせようとする気持ちが伝わってきます。このカタログは、目黒のショールームのもので当時の営業の方の名刺もついていました。この時代に若造が「輸入車」のカタログを欲しいと思っても中々ディーラーで、「モーターショー」の時のように快くいただけない事もあった中、わざわざ名刺までいただけたのは、家族向けだったのか、クルマの認知度の為なのかは今となってはわかりません。

しかし、確実にこの頃から「ポルシェ」の認知度は間違いなく上がりました。この後、「924」や「928」、「944」が日本で根付いて行った事を考えると、「パンフレット」の役割は大きかったのかも知れません。私も、「914」ですが「ポルシェ」を2台所有していた経験があり、乗っていた時の「優越感」は「VWポルシェ」と言われていた「914」でも誇らしく思っていました。当時、日本人にとっての永遠の「スーパーカー」とは、ほんの一部の人しか手の届かない「フェラーリー」でも「ランボルギーニ」でもなく、頑張れば手が届くチャンスがある「ポルシェ」だったのでしょう。

このクルマは、一般道よりサーキットが似合いすぎた!

週刊少年フライデー20号2

こんなに完成されていたのに、日本市場であまり評価されなかったクルマも珍しいのではないでしょうか?それがこの「フォード シェラ」だったと思います。先日、日本からの「フォード」の撤退の話題の際に、「フォード」=「アメ車」=「燃費悪い」=「壊れる」等の悪いイメージが日本ではついているのではないか?とお話しさせていただきました。当然このクルマは「日本フォード」ではなく「近鉄モータース」が正規代理店として輸入していましたし、「シェラ」は「コルチナ」や「タウナス」の流れを汲む「欧州フォード」のクルマでありました。現在GMの副会長の「ボブ・ラッツ」が開発に携わっていたクルマなのでヒットの条件はそろっていましたし、欧州ではそこそこの人気車種でした。性能も当然良かったのでツーリングカーレース等では大活躍。この時代の「シェラ」が皆さんのイメージにする「シェラ」ではないかと思います。

しかし、日本で販売されていた当時の「シェラ」の評価は、ライバルの「BMW/E30」、「アウディ/80GLE」、「VW/ゴルフⅡ」の大ヒットの陰に隠れて、散々の販売結果となってしまったのです。「街中で走る」より「サーキット」のクルマって言うイメージがつけられてしまった為、国内のオーソドックスなタイプより、並行輸入のスポーツタイプの方が、人気があったのは皮肉なものです。ですから、輸入車の聖地「港区」の「三田都ホテル」の1階にあった近鉄モータースのカタログはかなりレアだと思います。販売時期が少しでもズレていれば、「サーブ」のように密かな人気車種になっていたかもしれなかった「シェラ」でした。

ゴルフの強力なライバルになる予定だった初代。あまりにもチープだった内装にビックリでした。

週刊少年フライデー20号3

初代「フィアット リトモ」は、「VWゴルフ」のライバルと言われての市場投入されたクルマでした。その「リトモ」は「東邦モータース」が総代理店として輸入販売していました。私も実は中古車で購入したのですが、そのクルマは市川にある某外車屋さん(懐かしい響き)で、「ゴルフⅠ」と並んで置いてありました。たまたま、背後から見た為、初めは「ゴルフ」が2台並んでいるのかと勘違いしました(笑)それ程「ゴルフ」を意識したデザインだったのでしょうか?

しかし、デザインはあの「ベルトーネ」。前方から見た姿には驚くほどの新鮮さと、かわいらしさが混同している「リトモ」に一目ぼれ。乗っていた「シトロエン240CX」を下取りに出し買ってしまったと言う訳です。購入したのは、5枚ドアで色は「白」。人と違うクルマに乗りたかった私は、このクルマで街に溢れ出していた「VW」達から注目を浴びたかったのです。ただ、哀しいかなノーマル車では、目立つ事もなく内装のメーター回りはチープで、シートはニット地、外装は色が褪せていくバンパー回りと中々褒める事が出来なかった思い出ばかりでした。そんな中「アバルト」が「125TC」を販売、そして後期型になって「130TC」で「リトモ」の存在は一気にメジャーになったのです。逆に、今となってはこのマイナーな「リトモ」の東邦モータースのカタログが貴重になったと言えるでしょう。

当時なんてことのない「カタログ」にユーザーの思い出と当時の販売側の戦略が見え隠れするんですよね。皆さんも押し入れや本棚を整理して見ると思い出の品がでてくるかも知れませんよ。

hoshino星野「編集長!ポルシェを無理やり書きましたね。」

yamamoto山本「星野君、い、いや~・・・・そんなことないかな?」

hoshino星野「いくら、カレントライフのアクセス数がポルシェのネタだと多いからって!」

yamamoto山本「す、すみません!だってアクセス数が少ないと編集部のW氏やM氏に怒られるんだもの~」

hoshino星野「まあ、あの二人は厳しいからね(笑)」

yamamoto山本「う~(泣)怒られないように頑張りますから~」

hoshino星野「よしよし。20回連載記念に今度好物の『カルパス』買ってあげるからね!」

yamamoto山本「がんばる~!!」

と言うことで、今回の「なつかしのカタログ」いかがでしたか?来週もマニアックなコラムをお届けできればと思っていますので次回の「週刊中年フライデー」をお楽しみに!金曜日にまたお会いしましょう~!

山本 圭亮

千葉県出身。元ソフトテニスのセミプロとして日本リーグでプレーしていたスポーツマン。車に対する愛情(旧車)が強く現在まで50台以上の車を購入。日本車を始め、アメリカ、イギリス、フランス、スウェーデン、イタリア、ドイツ等の車を所有していた。2013年より車雑誌「ハチマルヒーロー」で「8年0組 洋楽先生!」として洋楽と車の関係を中心にコラムを連載開始。2015年から旧カレントライフにて「週刊中年フライデー」を連載。2016年から「ミドルエッジ」にてライティングを展開。そしてその中に「なかがわひろき」画作「時空探偵マツ・ド・デラックス」の原作を担当する。車、音楽はもちろん昭和のことなら何でもおまかせの広い守備範囲を持ち、コラムは正統派よりトリッキーなコラムが得意である。現在の愛車は「オペルマンタ」と「オペルベクトライルムシャー」。アルミ弁当箱コレクターやプロレス入場曲解説にてトークショーも開催している。又、音楽配信サイト「AWA」にて公式プレイリスターとしても活躍中。

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