1970年代の逸品スーパーカー「デ・トマソ・パンテーラ」

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デ・トマソ・パンテーラは、デ・トマソ社が車両の設計開発・生産までを請け負い、販売はフォードが行うというスタンスを取っていました。フォード側の思惑として、デ・トマソ・パンテーラにはシェルビー・コブラの後継車という意味合いを持たせていたようです。では、デ・トマソ・パンテーラがどのように市場に受け容れられ、歴史を重ねていったのか?紐解いていきたいと思います。

リーズナブルなスーパーカー「デ・トマソ・パンテーラ」

デ・トマソ3作目のスーパーカーとなるデ・トマソ・パンテーラは、フォードとの共同開発として誕生し、主に米国マーケットで販売されました。当時のスーパーカーと言えば、ランボルギーニ・カウンタック、マセラッティ・カムシン、ロータス・ヨーロッパなどが代表的な存在でした。それらはすべて自社製の高性能エンジンを搭載していましたが、パンテーラはフォード製のエンジン(5.8L V8 OHVで330ps)を搭載していました。

当時としては、ハイスペックな部類ではありましたが、エンジン自体はノンチューニングでした。そのため、デ・トマソのセンスが活かされた斬新なデザインのスーパーカーとして、デ・トマソ・パンテーラは他車と比べると安価(1万ドル以下)で購入できたことから、人気があり、1972年には生産台数は2700台を記録したのです。

デ・トマソ・パンテーラの開発秘話とその軌跡

デ・トマソに「高性能なスポーツカーを販売したい」という米国フォードからのオファーがあり、1970年1月にプロトタイプを完成させ、「年間販売台数5000台以上」というスーパーカーとしては史上初の大規模プロジェクトがスタートとします。1万ドル以下という販売価格のために必要に迫られたのは、コスト削減、大量生産、そして購入してもらうために衝突安全性をかなえる車両設計でした。

デ・トマソ・パンテーラは、最後に製造された「ヌォーバ(新世代と言う意味)」まで、全部で7種類が生産されました。初代のパンテーラから2年後の1972年にイタリア語で「豪華」を意味する「Lusso」の頭文字「L」を車名につけた2代目「パンテーラL」がデビュー。翌年(1973年)には、性能が引き上げられた「パンテーラGTS」が、エンジンパワーが350ps、トルク50kg/mと、今までのパンテーラよりもパワーアップして登場しました。「パンテーラGTS」は、ボンネット、エンジンフード、ボディの下半分がマットブラックのツートーン仕上げのカラーリングが特徴となっています。

デ・トマソ・パンテーラGT4は、1970年代の最高峰

デ・トマソは、GTSをベースにレースカーを製作。開発されたレーシングタイプは、エンジンを5.7リットルに拡大し、最高出力500馬力へパワーアップさせました。シャシー、サスペンション、ブレーキは、レース仕様に強化された専用のもので、前後のフードとドアはアルミ製。デ・トマソでは、このレース仕様のスタイルのままのデ・トマソ・パンテーラを公道用モデルにしたGT4を6台だけ生産し、1975年当時、最高速度292km/hを記録したと言われています。

その後、オイルショックの影響でフォードがパンテーラの販売から撤退してしまい、デ・トマソは自社でパンテーラの生産を続けていきます。パンテーラGT5(巨大オーバーフェンダーに大型リア・ウイング)、パンテーラGT5S(オーバー・フェンダーがボディ一体型になる)、そしてパンテーラの最終型のパンテーラ7代目「ヌオーバ(新世代)」が、デ・トマソ創立30周年を記念して1991年のトリノ・ショーで発表され、1994年まで生産されましたが、現在もこの車を日本で見かける機会は非常に稀な存在となっています。

1990年代前半にリファインされたデ・トマソ・パンテーラ

1991年のイタリア・トリノショーにおいてデ・トマソ・パンテーラとしては実質的な最終モデルとなる「SI」を発表。日本にも並行輸入されました。当時の車両本体価格(参考)は2300万円。フェラーリ テスタロッサ並みの価格が設定されたのです。エンジンは5L V8 OHVエンジンに換装され、最高出力は247psとなりましたが、フェラーリ テスタロッサの性能とパワーには遠く及ばないものだったのです。

生産台数はわずか41台。そのうちデリバリーされたのは38台という、世界的に稀少なモデルとなっています。しかも、外観のデザインのリファインを担当したのは、ランボルギーニ ミウラやカウンタック、ディアブロを手掛けたマルチェロ・ガンディーニなのです。4台だけミラノのカロッツェリアでタルガモデルが生産され、デ・トマソ公認モデルとなりました。こうして、「SI」の生産終了とともに、デ・トマソ・パンテーラの歴史に幕が降ろされたのです。

スーパーカーショーにおけるデ・トマソ・パンテーラの位置付けとは?

1970年代に一世を風靡したスーパーカーブーム。そのブームに呼応して、日本各地でスーパーカーショーが開催され、実際に会場へ足を運んだ方も多いことでしょう。

いうまでもなく、スーパーカーショーの主役はランボルギーニ。カウンタックを筆頭に、ミウラやイオタ(仕様)、ウラコシルエット、エスパーダなど。対するフェラーリの布陣は、512BBや365GT4/BBを筆頭に、ディーノ246GT、308、ディノ308GT4など。マセラティ メラクやボーラ、カムシン、ポルシェ911ターボ、ロータス ヨーロッパ…。サーキットの狼の誌面を飾ったスーパーカーたちが当時の子どもたちを熱狂させました。デ・トマソ・パンテーラとランチア ストラトスもスーパーカーショーの一画を占めていましたが、当時はどちらかというと主役級のクルマに対して少し扱いが抑えめだった感は否めません。

しかし、時が流れ、当時の子どもたちが大人になり、スーパーカーブームを一人で再現してしまう(つまりコレクションしてしまう)強者が現れます。結果として希少価値が高まり、世界的にもプレミア価格となり争奪戦が繰り広げられています。日本でデ・トマソ・パンテーラの個体そのものやパーツを入手するとしたら、ほぼ「時価」に近い存在かもしれません。ツテを辿って、デ・トマソ・パンテーラオーナーで形成されるネットワークに事情を話し、売却先を探している方を紹介してもらうのが最短かつ最善の方法といえそうです。

デ・トマソ・パンテーラの復活はあるか?

かつて「De Tomaso Pantera Prossima Generazione Concept 2000」の情報もありましたが、その後、大きな動きはありませんでした。デ・トマソは、2011年のジュネーブモーターショーで「ドーヴィル」というモデルで復活を果たしています。しかし、今日に至るまで「パンテーラ復活」の声は聞こえてきません。果たして、20数年のときを経て、新世代のスーパーカーとしてデ・トマソ・パンテーラの復活はあるのでしょうか?

日本にも根強いファンが存在し、イベントや週末のツーリングなどでデ・トマソ・パンテーラを見掛けることができます。イタリアンデザインとアメリカ車のV8エンジンを心臓に持つ混血児。希有な生い立ちを持つ1台として、これからも日本の地で愛される1台であることは間違いありません。

[ライター/CL編集部 画像出典/Pinterest]

カレントライフ編集部

ハイクオリティーなクラシックカーにも造詣が深い編集部メンバーが、そういった輸入車に乗ったことがない方々にも幅広く魅力を伝えられるよう記事を執筆中。ドイツ駐在員が貴重な情報をお届けするドイツ現地レポも随時更新してます。

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