幸せになりたいなら素敵なクルマを買おう!一度しかない人生を幸せに過ごすための秘訣

  1. カーゼニ
  2. 73 view

今回の本稿では「幸せとは何か」という、わたくしのごとき凡才の手には余りそうな壮大系テーマを主題としたい。ただ、最終的には「素敵なクルマを買いましょう」というショボい結論になる予定なので、ある程度の楽観はしている。

わたしは「幸せへと至る方法」を見つけた(宗教ではなく)

さて。全人類にヒアリングしたわけではないので断言はできないが、「オレはなるべく不幸になりたいね」と思っている人類はいないはずだ。誰もがその人なりの幸せを求めながら、日々を生きている。

だがその「幸せになる」という一見近くにありそうなゴールが思いのほか遠く、そしてその実現がけっこうハードモードであるため、多くのホモサピエンスは苦悩しているわけだ。

自分は幸せになるための行動をしているはずなのに、一向に幸せを感じない。おかしいではないか、どうなっているのだ? と。

もちろん、東京府荏原郡の片隅で地味に暮らしているわたくしも、そのように苦悩しているひとりの凡人にすぎない。

ただ、さすがに50年も生きていると「おばあちゃんの知恵袋」ではないが、人間それなりの知恵は付いてくる。そしてその知恵を炸裂させた結果、最近の自分は「幸せへと至る方法」をおぼろげに編み出しつつはあるのだ。

今回は、そのおぼろげな方法を貴殿にお教えしよう。当世風に言うなら「シェアさせていただきます」をさせていただこう――と思うのである。

結局すべては「気分」の問題だ

幸せになる方法。それは「1日のうちで『あぁ、なんだかいい気分だなあ、生まれてきて良かったなあ」と思える瞬間瞬間の数をなるべく増やすこと」だ。

結局のところホモサピエンスは「気分」で生きている。もっと偏差値高そうな言い方をするなら「すべては認知とアルゴリズムの問題である」という感じになるのだろうが、見栄を張っても仕方ないので自分の言葉で書くこととする。結局すべては「気分」なのだ。

客観的に見てかなり素晴らしい物質や現象に囲まれていたとしても、その事象の中心にいる人間の気分が「あーつまんね。死にてえな、軽く」的に最悪なものであったなら、素晴らしき物質や現象にはなんの意味もなくなる。

だが逆に「気分」さえ良ければ、たいていの物質や事象は光り輝いて見える。

特別に高級・高額なモノなど身の回りになくても(もちろん、そういうモノはないよりはあったほうがよいのだが)、ただただ「今日は晴れていて、気温も湿度も快適である」ぐらいのことでも「うおっ、なんか最高じゃん! 生まれてきて良かったぜ~!!!」程度には盛り上がれるものだ。

そういう意味で、キモとなるのはとにかく「気分」なのだ。

たとえば、1日のうち16時間すなわち5万7600秒間起きていると仮定して、その1秒1秒すべてがもれなく「チョー気分いい!」という生活を作るのは難しい。というか、その状態は狂人すれすれである。

そうではなく、「気分良好である時間帯がなるべく増えるように創意工夫する」ということだ。

「気分」を作るうえで役立つ7つの手法

では、どうすれば「自身の気分が良好である時間帯」は増やせるのだろうか?

よくわからないが、生成り色の自然派素材で作られた作務衣とかを着込み、田園地帯に行ってエコでロハスでシェアリングエコノミーな原始共同体的生活をする?

……まぁ人によってはそれも悪くないのかもしれないが、わたくしは苦手である。

わざわざそんなことはせずとも「いい気分」を作りあげ、結果として幸せへと至る道筋はあるものだ。

たとえばこうである。

1. なるべく健康体でいる
基本的な健康体なくして「いい気分」はあり得ない。その意味でわれわれは、食事と運動に対しては常に意識的でなければならない。

2. なるべくゼニを稼ぐ
もちろん「ゼニがすべて」ではない。だがゼニなくして現代の幸せはあり得ない。どのくらいのゼニを稼ぐべきかは人それぞれだろうが、その意味でわれわれは、ある程度以上のゼニを稼がねばならない。

3. なるべく人を愛し、人から愛される
おそろしいほど健康体であったとしても、うなるほどのゼニがあったとしても、「孤独」は確実に人を蝕む。その意味でわれわれは、性別を問わず「愛する人」を近くに置き、同時にその者らから愛されねばならない。ただしそれが大人数である必要はない。ごく少数でOKだ。

4. 悪いことはなるべくしない
良心というものが完全に欠落しているサイコパスの人は別として、「悪い行い」は常人の心をゆっくりと蝕んでいく。もちろん完全無欠の善人になどなる必要はないし、そもそもなれない。「ゴミは回収日の朝以外は出さない」ぐらいのレベル感である。

5. 良いことはなるべくする
マザー・テレサ並みの善行ができるに越したことはないが、まぁ普通は無理だし、わたしも無理である。そうではなく「コンビニのお釣りは50円未満だったら透明のボックスに寄付する」「お年寄りや妊婦さんなどに電車の席を譲る」ぐらいのことでもいいはずだ。若干ではあるが、気分高揚には確実な効果がある。

6. 嫌な人間とはなるべく距離を置く
わたくしなどは一人親方の自営業なので、このあたりは簡単だ。しかし勤め人の場合はなかなかそうはいかない場合も多いだろう。しかし己の幸せのためになんとか工夫して、そういった人物との関わりを極力希薄化するための努力を期待したい。

日常的に使うモノの良し悪しで気分は大きく変わる

7. 日常的に使うモノは、できる範囲で「なるべくいいもの」にする
ここまでの1~6で、当たり前すぎてつまらないことばかり述べてきたと、我ながら思う。

だが仕方ないのだ。五十を過ぎて「おばあちゃんの知恵袋(おじいちゃんのか?)」を授かった自分から見ると、人生というのは「華やかな山場の連続」では決してなく、「あたりまえの日常の繰り返し」があくまでも基本形であることが最近ハッキリとわかってきたからだ。

であるならば、眼の前の瞬間瞬間をなるべくよいものとすることでしか、ハッピーなるライフというのは到来し得ないというのが合理的な結論となる。「いつか」とか「来年は」とかではなく「今この瞬間」こそが重要なのだ。

そう考えたとき、「日常的に使うモノ」が果たす役割というか、自身の幸せに寄与する度合いはかなり高いことがわかる。

それゆえ、モノにはこだわったほうがいい。それも「いっちょうらのお洋服」とかではなく日常的に着るフツーの衣服や、まな板や包丁、お皿や箸なんかのクオリティにこそこだわることを、おじいちゃんとしては推奨したい。

長めの時間をともにする「クルマ」の質にもこだわるべき

で、そこに関連してくるのが「クルマ」なのだ。

カーマニアな人もそうでない人も、何らかの理由によりクルマを運転する際は、そこに結構な時間を投じている。もちろん近場のイオンとかに行く場合は別だが、ある程度遠い場所まで行く際は1時間から数時間、場合によっては半日ほど、クルマのハンドルを回したりペダル類を踏んだり離したりすることになる。

その際に、もしもそのクルマの走行フィールや操作フィールが非常にプアでしょっぱいものだとしたら?

……なんというか、カーマニアとしては死んでも死にきれない気分になってしまうし、非マニアな人も、決して心の底からいい気分にはならないだろう。たとえ仲良し家族とミニバンの車内で楽しくおしゃべりしていたとしても、だ。

ということで、まぁいろいろ述べたが、あくまでも自動車ライターとしての結論は「(予算的に無理のない範囲で)なるべくいい感じのクルマを買いましょう」ということである。それにより、あなたのもとに「幸せ」が去来しやすくなるからだ。

カーマニアの方々にとっては今さらな話であることはわかっている。だが、何かの間違いでCL CARSに迷い込んできた「クルマは普通に動けばそれでいいですよ」ぐらいにお考えのそこのあなたに、「貴殿自身の幸せのため、今一度ご再考を!」とお願いしたいのである。

[ライター/伊達軍曹]

伊達軍曹

外資系消費財メーカー日本法人本社勤務を経て、出版業界に転身。輸入中古車専門誌複数の編集長を務めたのち、フリーランスの編集者/執筆者として2006年に独立。途中2008年から2011年には編集デスクとして「IMPORTカーセンサー」(リクルート)の創刊準備および編集運用を業務委託として担当。現在は「手頃なプライスの輸入中古車ってサイコーだぜ!」というのんきなトーンの原稿を各誌やウェブサイトに多数寄稿している。

記事一覧

関連記事