違いを愛でることの大切さ。マセラティは来るべくして私のもとにやってきた

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この間からふと、何となくぼんやりと思っていることなのですが、いじめ問題やパワハラも、妙な全体主義の現況ではないでしょうか。そして「クルマ選び」でも、少し目線を変えてみるのいいヒントになるのではないか、そんな気がしたものです。少しこのことについて書き留めておきたいと思います。

ものごとを見るとき、共通点を探していませんか?自分との共通点、自分の現状との共通点、自分の生活との共通点。調和するというのは和やかなものです。決して悪いことではないでしょう。しかしそれは、望めども望めども、そうそうたやすいとは限らないのではないでしょうか。マーフィーの法則ではないですが「そういう時に限って・・・」ということも少なくないのではないかと思うのです。

一方、一見すると到底ご縁などないかもしれない、和すことなど金輪際ないだろうということは、徹頭徹尾ありえない選択肢なのでしょうか?そのくらい縁遠そうなことかもしれませんが、見方を変えてみると、一点だけ妥協すると思いがけず魅力的、そんなことってないでしょうか?

どうしてこんなことを言い出したかと申しますと、日々楽しくは過ごしてはおりますが、自分の身の上をふと振り返ると、まあ意図しないことばかりで強烈に引くレベルなのです。今頃は平和な家庭でかわいい子どもに囲まれ、他愛ない会話にあふれているはずでした。幼少のころから厳に自動車メディのライターなんて言うものにはなってはいかん!と思っておりました。自分の見込みが甘かったのでしょうが、まあ会社なんか登記するんじゃなかった。背負い込むことは増えるし、様々な動きを制限するものばかり。身動きが取っれないので、まじめな話どうにかしないと。

小さなところでは、マニアックなクルマなんかなくてよかったのです。ちょっと風情はあっても普段使える2世代くらい前のメルセデスベンツのワゴンなんかをアシにして、穏便かつ上質で、クルマどっぷりでなくむしろ適度に希薄なカーライフこそ理想でした。不安しか沸いてこないです。こうして改めて自らを振り返ると。大学も浪人して入学し、留年して卒業し、ほかの人がしかるべきことをしかるべきタイミングでできるごくごく普通のことが、その通りにできないのが小生であるが故、まあ「まだできていない」ことに関しては仕方ないのはわかっているつもりですが・・・。

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この記事の筆者:中込 健太郎

大手自動車買取販売会社で、クルマの売買業務を経て、本社マーケティングチームに異動。WEB広告を担当し...