大田区民オペラのプッチーニ「ラ・ボエーム」に出てみました。

最終更新日: 公開日:2015-03-18 | Posted in よもやま話 by

先に2月28日、3月1日、大田区アプリコで開催された、大田区民オペラのプッチーニ「ラ・ボエーム」に実は出演しました。出演した人の話が出ているコンテンツはそんなに無いと思うので(笑)今回はそれをここに記しておきたいと思います。ということで、今回はクルマの話はありませんよ。

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(パルピニョールのお馬さん(練習用)とパンフレット)

歌わないことにしています(いました。)

オペラが好きですが、あんまり歌いたいという欲求はありません。グリークラブにいたこともありますが、結局は歌わないで聴いている方がいい、と思うに至っている。これが私の正直現状であります。よくこういうことを言うと、「実際やってみるとちがうよ」とか「それはまだ本当の魅力を知らないだけ」と言われることもあります。それでも歌う気にはならないのです。

そして、音楽に関しては、美術品と違い、形状を保つことができないという側面があります。録音はできますが、あれは所詮は記憶を呼び起こす為のトリガーの延長でしかありません。そして録音音源は「ディスク」であり「テープ」であって「音楽」がカタチになったものではないのです。しかしだからこそ尊い、そういうこともできるのです。思い出とシンクロさせたり、永いことあっていないともを思い出したり、ロマンチックな気分になることもあるでしょう。知っているかどうかではなく、「その時あなたが感じたこと」にこそ価値があると思うのです。

演者の気持ちはとは距離を置くことにも価値があるのではないか、そう思ってきたのです。

だから今回も「出るなんてとんでもない」と最初は思いました。

しかしとはいえ、よくよく考えてみると「ラ・ボエーム」の歌わない役「モミュスのカメリエーレ」。要はパリのカフェのギャルソンの役であります。出るならこれしか無い!とおもったのです。確かに大前提、ものごと「踏み込んでみるとわかること」はあるわけで、先に述べたオペラに対する個人的見解とは相容れないものが絶対にあるはずですから。だいたい、キャストもかなり満を持したもの。「一番いいとこで聴ける?」と最初の動機はかなり不埒(ふらち)なものだったことは否定いたしません。

「ラ・ボエーム」はファン泣かせというか、なかなかすんなりと感動!とならない作品だと思っています。そもそもジャコモ・プッチーニ「君、人に拍手させたり、ブラーボをもらう気内でしょう?」と言いたいのです。ミミの「私のなはミミ」の後は少しできるかな?テノールの名アリア「冷たき手を」のあとはいとまをおかずすぐにミミになる。あれはフラストレーションを放出することができなくていけません。

そして、かわいそうなんです。とにかく。ミミもかわいそうですがそれが単に「気の毒」なのではなく、今時の言葉で言えばある種「イタい」という感じなんじゃないか、と思うほどの哀れさがあるのです。ミミ初め、二幕ではしゃいでいる「ボエームたち(芸術家の卵の話ですね、彼らのまるっと哀れ。)」だからせいぜい三幕くらいまでいっぺん観たら、もう何度も「観たくない」と思うほどです。哀しいじゃない。どうして拍手できましょうか。Bravoと言えますか?あの終わり方で。ああいうのみてもジャコモ・プッチーニはきっと意地の悪い人だったんじゃないか。そんな色眼鏡で見てしまったりするのです。

哀しすぎてみてられない▶︎だから観なくてもいい▶︎いっそこんなオペラ観客として見に来なくたっていい▶︎なら出てもいいかな?

歌いたくない▶︎とはいえ、オペラファンは普通は「出ない」から▶︎出たら出たで貴重な体験▶︎特等席でムゼッタのアリア初め「言うてもボエーム」なアリアを聴ける▶︎やっぱり出るならこれしか無い?

だいたい、演目も聞いたことの無い新作とかでもなく(それだって有意義だと思うよ。)他ならぬ「ラ・ボエーム」です。それの「歌こそ無いものの・・・」結構重要な役。(小学校の学芸会以来舞台なんて載ったことない小生。大丈夫か?)でもヴェルディのオペラだったらやらなかったかもしれません。

お誘いを頂いたのは昨年の年末のことだったでしょうか。ちょうど毎日おつとめに出なくてもよくなった立場でしたし、練習のある土日だけ予定ブロックすれば春先まではどのみち取材行かねばならないイベントなんかも少ないだろうし・・・といういろんなことが重なったから出られたということはあるのです。そんな訳で先に蒲田のアプリコでの大田区民オペラの「ラ・ボエーム」に出演することになったのです。

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楽譜なら読めん!出の「キュー」と『音』で把握し体に叩き込む

話を受けては観たものの、そんな感じだから困るのです。音楽の勉強もお芝居もしたこと無いんですから。でもってただ隅っこでぼけっと突っ立てたらそれでいいワケでもなく・・・演出の伊藤明子さんが直々に「健ちゃん、そこはたぶん○○だとおもうんだ」とか言って、教えてくださる訳で、それにそってやる、できるだけその言われたことを守る。これしか無いなと最初の練習で感じました。

そして、舞台ではキューをたよりに。私の為ではありませんよ。滞りない進行のためにいるのですが。素人な各人に任せていると大変なことにもなりかねませんからね。助かりました。

 

舞台スタッフってすごい!

オペラは総合芸術だ、けど結局舞台なのです。なんでもいいが連中(なんていってごめんなさい)すごい!舞台装置はすべてがそろっている訳でもない。どこもそうでしょうが、予算が無尽蔵にある訳ではない。でも「ある資源を最大限に活用して、とてもそれでやったとは思われないように作る」点において、ちょっとそこまでやるのか!というようなことのアメアラレでした。だいたい、事故必死みたいな過密人口をオペラ用ではないアプリコ大ホールのステージの上で動かし、こっちの一派が上手から出てきて下手に行き、こっちが奥にはけていく。そしてここをこんな人たちが通ると、ボエームたちの姿が見える・・・人間が幕の代わりなのです、すでに。

そして次は私でもお任せしておくと「舞台人にしてしまう」指示がスタッフの方からくるのです。変な言い方ですが「私の意思の及ぶところの向こう」で、旨く使ってもらっていた感じがします。キュー出しのタイミングが、ゆっくり行っても余るくらいのタイミングだけど早すぎない。あれだと遅れることは無いし、しかし、ぼけっとルーティンにならないのです。つい、ここでゆっくり動かしたとき「これだと変だ。こうしないと。」と考える。この素人にちょっとテンンパらせるさじ加減が絶妙でございました。

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この記事の筆者:中込 健太郎

大手自動車買取販売会社で、クルマの売買業務を経て、本社マーケティングチームに異動。WEB広告を担当し...