当時は首都高が600円。バブルの頃の道路事情を懐かしむ

最終更新日: 公開日:2017-06-22 | Posted in ライフ by

映画「バブルでGo!!タイムマシンはドラム式」の中で紹介されたいたような、1万円札を振ってタクシーを捕まえていたあの頃、筆者は若葉マークの付きの父のランサーEX(習志野ナンバー)で、時々都内を走るような貧乏学生だった。映画で紹介されていたタクシーの捕まえ方は確かに事実ではあったが、あの頃の貧乏学生が想像もしなかったことに、昨今の都心の道路事情の変化というのがある。関東ローカルネタで恐縮だが、今回はそのあたりを振り返ってみたいと思う。

1.六本木ハリウッドトンネル

今でこそ東京の有名なランドマークのひとつである六本木ヒルズがある場所は、かつては「テレビ朝日」と「ハートランド」というレストランと、スエーデンセンターという名の北欧のアンテナショップ、そして墓地だった。けやき坂なんて坂道は存在してなかった。

そして何より、六本木ヒルズの下を貫通しているトンネルは、当時は細い一方通行のトンネルだった。正式名称は知らないが、通称「ハリウッドトンネル」と呼ばれていた。出口の頭上に「ハリウッド化粧品」という看板がついていたことに由来していることと、ハリウッド化粧品の本社がすぐ近くにあったから、らしい。

このトンネルは、芋洗坂を通らずに青山方面から麻布十番への抜け道として使われていた。青山墓地側も、地下鉄乃木坂駅の出口の真上は今でこそY字交差点だが、当時はただのコーナーだった。それが六本木ヒルズの完成にともなって、青山方面から麻布十番へズドンと抜けられるトンネルに進化して飛躍的に便利になったわけだ。

これに地下鉄の開通も重なって、麻布十番はついに陸の孤島から脱出したんだと思っている。現在では国際的かつ大混雑する麻布十番祭りは、バブルの頃でも本当に東京の真ん中のお祭りか?と思うほど地味でほのぼのしたものだったことを懐かしむ人がいるかもしれない。

2.新宿御苑トンネル

バブルの頃、初台方面から新宿へ向かって国道20号(甲州街道)を抜けて、さらに新宿駅南口を通過したあと、明治通りにぶつかる交差点はほぼT字路だった。新宿御苑の横を抜ける細い道はあったものの、今のようにズドンと四谷側へは行けなかった。

逆に四谷方面から新宿に向かって新宿通りを走ってくると、マルイの前を抜けて駅にぶつかってしまい、そのまま大ガード(青梅街道)に向かうか、明治通りで左折、甲州街道ですぐに右折としないと初台方面には行けなかった。振り返ると、明治通り大渋滞の元凶であったことは間違いない。今のように新宿御苑の真下をトンネルが開通し、新宿駅南口から四谷方向へまっすぐ抜けられるなんて夢のようなことだったのだ。所要時間半分以下になったように思う。

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この記事の筆者:ryoshr

若い頃から空冷VWを楽しむ自称「クルマ好きのおっさん」。IT企業に勤務している知識を活かして、1990年...